24時間テレビついて

ついこの前、24時間テレビがやっていました

 

友人のtwitterでは

24時間テレビ泣ける」

「感動するわ」

という趣旨のものが多かったです

 

しかし、障がい者の方が頑張っている姿が感動的だとという考えは少し

安易であると思います

 

そのことについて詳しく書いていきます

 

そもそも、賛否が分かれる24時間テレビ

 

賛成意見

障がい者の方と健常者の方が一緒に何かするのが感動的

・募金を募っている

・100kmマラソンを芸能人が頑張って走っている

 

反対意見

・ボランティアなのに高額なギャラをもらっている

・収益の10分の1以下しか募金にあてられていない

 

 

感動するという一方で、ボランティア活動という面で見ると

そもそもボランティア活動になっていないとも言えます

 

私が一番に問題に思ったことは

年々、感動というものに対する倫理観が幼稚なものになっている気がします

 

障がい者の方がとりあえず頑張っている姿を見せられればいい

・芸能人が必死に走っている姿を届ければいい

・募金活動をアピールすればいい

なんだか、「愛は地球を救う」という大義名分からは少しずれてるような気がします

 

 

なぜ、難病の子どもが身体的に大きい負担をかけてまで登山をするのですか?

なぜ、全盲の少女が海を泳いで渡らないといけないのですか?

 

一見、「何がおかしいの?」と思うかもしれませんが

 

健常者と比較して障がい者の方にとってハンデがある事をさせる必要があるのか?

 

全て、健常者基準になっていて

健常が上だといわんばかりの価値観を押し付けているように感じます

 

私は障がい者の方に対して「障がい」はハンデでではなく、

その人のオリジナリティだと認識しています

 

確かに、障がい者の方にしかわからない悩みや不安は常につきまといます

だからといって、「障がい」をハンデというネガティブな視点で見てしまうこと自体が失礼だと思います

障がい者の方にしかわからない感情や、持っている能力が必ずあります!

その特徴を活かしていける、道があります

 

それは、障がいの有無とは関係ないです

 

なぜ、そういったことにテレビは焦点をあてないのですか?

 

自分は大学生の時に、車いすバスケットボールの授業を受けました

その時、来てくださった講師の方は事故に遭い

後遺症で下半身不随になってしまったそうです

 

「死にたいと思う日が続いた時期もあった」

 

「ただ、車いすバスケットボールに出会ってから、人生が楽しくなった。

車いすはハンデではなく、車いすの自分だからこそできるスポーつがあることが嬉しかった」

 

とおっしゃていました。

 

 

そして、いざ一緒に車イスバスケットボールをやってみると

めちゃくちゃ難しくて、めちゃくちゃ楽しいんですよ

それに、講師の先生上手すぎる!(ちょっとは手加減してほしかったです笑)

 

運動に自信があった私でも全く歯が立ちませんでした。笑

また、ある事に気づきました

車いすバスケットボール障がい者のためのスポーツではなく

健常者も障がい者も一緒にできるスポーツなんです

 

講師の先生はかなり練習したそうで、最近車いすバスケットボールのプロになったそうです

自分は大学まで野球をしていたので

アスリートとして、一人の人として本当に魅力的で尊敬できて

「自分もこういう立派で大きい人になりたいな」

と感銘を受けました

 

最終的に何が言いたいかというと

 

障がいがあるからといって、健常者目線で見下し同情するというのは失礼だということです

 

確かに、障がい者方は日常生活において大変な事が多いと思います

 

ですが、障がい者の方は日々努力し、それらを乗り越えています

 

その時点で、私は同情ではなく尊敬すべきだと思います

 

また、障がい者の方一人一人にアダプトした事が必ずあります

 

24時間テレビではもっとそういった所にスポットを当ててほしいです

 

そうすれば

障がい者の方を含め、全ての人にとって居場所がある世の中が

本当の意味でできてくると思います