生きる力

いつからだろう?電車に乗っていると疲弊しきったサラリーマンの顔ばかりが目に映ってしまうようになったのは、、、

 

いつからだろう?「過去の学生時代の楽しかった経験」が「自分を慰めるだけのもの」になってしまったのは、、、

 

大学を卒業してからそう考えてしまうようになった

 

小学校から大学までたくさんの悩みや不安はあったけど、そのどれとも違う「モヤモヤ」が頭にこびりついてしまったせいだ

 

自分の過去振り返ってみると、小学校からの夢であったプロ野球選手になるために大学まで野球に没頭した

 

また、少なからず周りの友人達も夢や目標に向かって進んでいたように思う

 

そういう人達と過ごす学校生活は「生きる力」に満ちていた

 


でも気がつくと、「将来の夢はプロ野球選手」と考えること自体が恥ずかしくなって、親・友人・社会から評価される事ばかりに囚われている自分がいた

 

「親や社会から評価される人間にならなければいけない」そう思うとなんだか”他人の人生”を歩んでいるような気がした

 

”他人の人生”を一生懸命生きた先に何があるのか、おそらくそれはお金と承認欲求の充足だけだと思う

 

「モヤモヤ」の正体はこれだった

 

自分はお金とか承認欲求を満たすことではなく心が無意識に踊るような「生きる力」を求めていたと気づいた

 

敷かれたレールの上を歩くのではなくではなく、自分でレールを敷き一歩踏む出すことで”自分の人生”がスタートするのだと気づいた

 

そうすると、今まで他人事のようだった孫正義やスティーブン・ジョブズやマイケル・ザッカーバーグの名言が急に色味を帯びてきた。

 

無駄にYoutubeで「名言集」で検索して、偉人の名言を見て「うん、うん」と頷くだけの夜を過ごした事もあった。笑

 

僕の大切な友人が言っていた「死ぬこと以外かすり傷と思える」と

 

本当にその通りだと思う。

 

全ての人に共通することは、生まれてくること、死んでいくこと

 

「どう生きて、どう死ぬか」に共通した正解はなくその人自身が決める事

 

ならば、自分が「生きる力」を貰えると思う事に時間を惜しみなく使えばいい

 

こう考えることができるようになって「モヤモヤ」が「ワクワク」に変わった

 

自分が尊敬している大切な友人は皆「ワクワク」している

 

「モヤモヤ」が蔓延る世の中だからこそ「ワクワク」を求めて生きたい

 


以上!あらした