優しさとは

最近気付いた事がある。


優しさはその時や状況によって、意図しない意味合いを持つことがある

 


一般的な優しさとは恐らく

「困っている人には手を差し伸べる」
「失敗した人に優しい言葉をかける」

といった事だと思う

 

一見、この優しさとされている事は相手の為にならない時がある


例えば
甘い話に唆されて、お金を失ってしまった友人がいたとする。
その友人に対して
「世の中にはそんな汚い人がおるんやなぁ、運が無かったと思って次から気をつけたら良いよ!」


これは一見優しさのように見えてそうではない

 


なぜなら、この言葉をかけられた本人は
「俺は悪くない」
「悪い奴に引っかかってしまったなぁ」
「次から、気をつければいいか!」
と考えるだろう

 


何がおかしいのか?

 


騙された原因の殆どを自分以外の何かに転嫁している事だ


人生において失敗をした時に責任転嫁をしていては、同じ失敗を繰り返すリスクは低くならない
なぜなら、原因が外部にあるという考えなので、「次から気をつけよう!」と抽象的な改善になってしまい、具体的な思考に至らないからだ

 


ソクラテスの有名な言葉で
無知の知」という言葉がある


自分が無知だと知っている分他の人よりも賢いという意味だ

 


今回の事例はまさにこれに当てはまる


「自分が無知故に、お金を騙し取られてしまった」
まずはこれを自覚する必要がある
自覚した上で「なぜ、騙されてしまったのか?」を考え、答えを出さなくてはいけない


ましてや、騙す側もアホではない
騙す方法を巧みに考え行動に移している


一回騙された事は変えられない過去だとしてもその後、二度と同じ失敗を繰り返さない為の準備は出来るはずだ


だから僕は自分にとって大切な人ほど一見優しさとはかけ離れた言葉をかけるかもしれないが、それは「自分なりの優しさ」だ


知識や経験を通して得る”知恵”は騙す側に回ると”矛”になり、騙される側にとっては”盾”になる


この知恵こそが、現代の”騙し合い社会”を自分らしく生きていく上で大切な物なのかもしれない